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ちょうどのおとうふ誕生秘話

 

☆ちょうどのおとうふ誕生秘話☆

ひかるKun
ひかるKun

冒頭に ひかるKunの”ちょうどのおとうふ”とありますが、
『ひかるKun』とはダレ?と思われた方が多いと思います。
まずここからこの物語が始まります。

 

ボクが生まれたときのこと

ボクは、平成9年1月4日、転座型のダウン症児として生まれました。(日本ダウン症協会

お姉ちゃん・お兄ちゃんとはかなり歳が離れて出来た子供だったので、「男の子でも女の子でもどちらでもいい、人生の上で自分自身にとっても、出会う人たちに対しても光輝ける人間になってもらいたい」と「光/ひかる」と名前をつけて、ボクの誕生を家族皆んなで楽しみに待っていてくれました。

でも生まれた直後、ボクは泣かなかったので、産婦人科の先生は心配になりすぐに血液検査をしてくれました。検査結果は21番目の染色体異常を起こしたダウン症候群との事。産婦人科病院からボクの家までは、車で10分くらいの近い距離だけど、ボクを抱いたお母さんは「悲しくて泣いているんじゃない・・・」と言って泣いている姿に、お父さんは何も言えなかったそうです。そしてとても長く感じられる帰宅の道のりだったそうです。

お友達のお医者さんの励まし

その頃、お医者さんをしているお父さんの先輩が、
「ダウン症児は色々な病気がでてくるけれど、とにかく明るい子供だよ。これからあなたたち家族が何かで暗く沈む時があっても、きっとこの子の明るさで救われるハズ。ひかるKunは実は天使なんだよ!あなたたち夫婦が望んだとおり、まさに ひかるKunじゃないか!大事にそだてなさい!」と言って、お父さんを励ましてくれたそうです。

急性骨髄性白血病になったときのこと

2歳までのボクは体が小さく、発達も普通の子供たちより随分遅かったけど、それでも大きな病気もせず元気に育ちました。でも、平成11年4月、数日高熱が続き、ボクは辛くて思わず大声で泣きました。

お父さんもお母さんも風邪かなと思ったそうですが、病院へ行くと血小板が減少していて検査したところ、急性骨髄性白血病で骨髄異形成症候群が原因と言われ、その場で緊急入院。そして長いなが~い抗癌治療が始まりました。それから1年間、ずぅ~っと点滴の長いクダにつながれ、狭い病室で三日に一度の血液検査の生活が続きました。

抗ガン治療の副作用で食欲減退

そんな看病生活の中で、お父さんはボクのために何かできないかと随分考えたそうです。
病院食としてゼリー・プリン・ヨーグルトがついてくるのですが、抗癌治療の副作用でなかなか食べれず、残って冷蔵庫の中にたまっていくのを見て、お父さんの頭の中にビビビ!とひらめくものがあったようです。

白血病の息子のために「栄養価の高い一口サイズのおとうふ作り」

それから「手を汚さず、いつでも・どこでも・デザート感覚で食べる一口サイズのおとうふ」作りに没頭し始めました。

髪の毛が抜けだしたので、 お母さんがバンダナをしてくれました。 (平成11年6月頃)

そうそう言い忘れましたが、ボクの家はおとうふ屋です。ボクとお兄ちゃんの代で四代目になります。

お父さんは、ゼリー・プリン・ヨーグルトを食べさせるより、抗癌治療で弱ったボクの体に栄養のあるおとうふを食べさせた方がよいと思ったみたいですが、”ちょうどのおとうふ”が完成するまでは壮絶の一語だったようです。⇒【短編『出発!”ちょうどのおとうふ”』

なんとか退院できたよ!

ぼくの髪の毛は抗癌治療の副作用で全部抜けちゃって、すっかり一休さんになってしまいましたが、福井県立病院の主治医の先生、看護婦さんの手厚い看護、そしてお父さんがボクのために作ってくれた”ちょうどのおとうふ”のお陰で、一年間8回の厳しい抗癌治療を終え、平成12年3月に無事
退院することができました。

ところで ”ちょうどのおとうふ” の 売り先は???

最初、”ちょうどのおとうふ”を買ってもらえるお客さんはだぁ~れもいませんでした。
お父さんもお母さんもたくさんの人に声をかけるのはとっても恥ずかしかったけど、ボクの”ちょうどのおとうふ”を知ってもらうため、お寺の境内で開かれた骨董市の片隅で誰彼となく食べてもらったそうです。

でもそんな試食会から始まった”ちょうどのおとうふ”も口コミで福井県を飛び出し、今では36都道府県にひろがりました。

ここでボクからお礼を言わせてもらいます。
お父さんがボクのために全てをかけて作ってくれた”ちょうどのおとうふ”を

『生ものタブー』の病院・学校で「”ちょうどのおとうふ”は美味しくて・便利なんだ」と勇気を持って使ってくださった栄養士さん!ありがとう!!

「”ちょうどのおとうふ”を食べて元気をだして、国防の任務についている」とお手紙をくださった自衛隊の隊員さん!ありがとう!!

そして小児がんや難病、障害があっても頑張っているお友達!病気に負けるな!!
”ちょうどのおとうふ”を食べて『障害』を乗り越えよう!!

最後に、お父さんを支えてくださるお友達・関係者の皆さんへ。
いつまでたっても少年のようなお父さんですが、今後ともヨロシクお願いします!

 

ボクのお兄ちゃんとお姉ちゃんのこと

最後にボクのお兄ちゃんとお姉ちゃんを紹介します。

お兄ちゃんのこと

この数日後、お兄ちゃんはプッツンと登校拒否

ボクのお兄ちゃんは、ボクが入院中「ひかるは死んじゃうんじゃないか!?」と泣いていた心優しいお兄ちゃんです。でも、お母さんと離れて暮らす生活は寂しかったようで、途中で4日間、登校拒否をしてしまいました。

もしかすると、”ちょうどのおとうふ”の本当の産みの親は、ボクじゃなくてお兄ちゃんじゃないかと思います。

それはお兄ちゃんは生まれると直ぐに『尿道下裂』という病気がわかり、大手術を2回もしました。その後も『発達障害』
『てんかん発作』『成長ホルモン分泌不全性低身症』とたくさんの病気をもって育ちました。

お父さんもお母さんもお兄ちゃんの手術・治療のため、その当時、小さかったお姉ちゃんも連れて日本中、北へ南へと病院を回り、長い間大変な時期を過ごしたそうです。ボクがダウン症児として生まれ、白血病になっても、お父さんもお母さんも冷静でいられたのも、その前にお兄ちゃんのことで随分鍛えられたからだと言っています。きっとそのころから、お父さんの頭の中には我が子に食べさせる”ちょうどのおとうふ”計画が始まっていたのかもしれません。

いつもボクのことを「世界一カワイイ弟や!」と大事にしてくれるお兄ちゃん、ありがとう!

お姉ちゃんのこと

2005年夏、お姉ちゃんとボクだよ♪

最後に もうひとりお姉ちゃんを紹介します。

このお姉ちゃんは言葉ではうまく表現できませんが、たいした人だと思います。二人の障害を持った弟を持ち、色々な悩み事があったと思うけれど、学校の先生そして、お父さん・お母さんにも泣き言は言わず、黙々と絵を描き、中学3年間で自分の進む道を決めました。普通の高校には行かず、ファッションデザイナーを目指し15歳で上京し、通信制の高校で単位をとりながら、ファッションデザインの勉強をしました。

現在は制帽を作る仕事につき、余暇の時間には自分のデザインした帽子を作り販売しています♪

”ちょうどのおとうふ”で みなさんにエールを送ります!

そんな兄弟・家族に囲まれ、そしてボクの”ちょうどのおとうふ”を食べてくれる皆さんのおかげでボクは、元気になりました。この”ちょうどのおとうふ”を『ひかるKunの”ちょうどのおとうふ”』と呼んでね♪

また沢山の人に”ちょうどのおとうふ”を食べて、元気を出して頑張ってもらいたいと思います!
みなさん、ヨロシクお願いします。

☆平成13年にお父さんが栄養士さん向けに書いた短編『出発!”ちょうどのおとうふ”』も面白いヨ!!みんな読んで見てね♪

一番最近のお姉ちゃんとボクです◎二人ともトシをとりました!笑

一番最近のお姉ちゃんとボクです◎二人ともトシをとりました!笑